In Pursuit of Flow KEITA MORIMOTO

森本啓太
淡々とした日々、特に何も気にかけることもない見慣れた風景は誰にでもあるはずだ。ドラマティックな人生は全員に訪れるとは言い切れないが、モノの見方を変えることで少しは生き生きとした日々を送れるのではないだろうか。
表現を通して、われわれにそんな期待を抱かせてくれる、画家森本啓太のインタビュー。
森本啓太
◇自己紹介をお願いします。

森本啓太です。画家をしています。カナダには15年間住んでいましたが、最近日本に戻ってきて、今は東京で活動しています。

◇子供の頃の話をお伺いしたいんですけど、どんなお子さんだったんですか?

絵を描くのは好きでした。また小学校の頃の「将来、~になりたい」みたいなものに、映画監督とか漫画家とか書いてたんですけど、ストーリーが全く書けなかったので(笑)。
ずっと絵は描いてましたが、絵で食べていけるとは全然思ってなかったですね。

◇その頃の描いた絵ってどういうものでしたか?

子供の頃の絵は、だいたいアニメのキャラの真似をしたりして描いてましたね。日本人ならだいたい子供の頃にジブリを観たことがあると思うんですけど、そのコピーとかもしてましたし、スパイダーマンとかアメコミ系のものも描いてました。

◇先ほどストーリーがあるものを書けなかった、とおっしゃってましたけど、漫画など試しに描いてみたこともあったんですか?

自分でも、一応漫画とかストーリーを作ろうと決めて頑張ったこともあるんですけど、全然ダメでした。
そこが得意な人とチームを組むっていう手もあるとは思うんですが、自分ひとりでやりたいなと思ってたんで。それで上手くいかなくて、漫画はすぐに諦めましたね(笑)。

◇森本さんは16歳で単身カナダに留学されていますが、どうして海外留学をしようと?

大学進学から就職までのレールが高校のときに敷かれた感じが凄い嫌で、そこから抜け出したくなったからです。

◇高校生でいきなり海外に単身行ったわけじゃないですか。その経験はすごく強烈なものだったと思うんです、全くの異文化なので。そこで体験したカルチャーショックのエピソードはあったりします?

カナダはとにかく道路が広いって感じですかね。道路が広くて、トラックもめちゃくちゃ長くてデカイ。
あとは食べものの量も日本の1.5~2倍くらい大きいし…。
ほかは多分海外から日本に来た人も逆に思うはずなんですけど、それまで日本人しか見てなかったので。高校はベルビルという街にあったのですが、そこは白人ばっかりの街だったので、みんな同じに見えました。「あれ、みんな一緒に見える」みたいな印象はありました(笑)。

◇その街自体はアートが盛んだったのですか?

いやー、そうでもないんですよね(笑)。オンタリオ州ではあったのですが、トロントから車で東に2時間くらいの田舎町だったので。
森本啓太
森本啓太
◇森本さんはカナダに行ってから、真剣に絵を描くことに取り組み始めたそうですが、誰か影響された人がいたのですか?

ベルビルにあるセンティニアル高校っていうところのトムリンソン先生の存在が人生でいち番の転機となったのかな、と僕は思ってますね。その人が僕にダリ、ピカソ、レンブラントとか西洋絵画の歴史を教えてくれなかったら、僕は全然絵を描いてなかったかもしれないです。
そこで、アクリル、水彩、油彩とかの小さい絵を始めたんですけど、そこまでは線画とかコミック調のものしか描いてなかったので、絵具を使って描くっていうのはそこがはじめてでしたね。

◇高校卒業後は、トロントのオンタリオ州立芸術大学(OCAD大学)に進学されてますが、そのタイミングで日本に帰国しようとは思いませんでしたか?

自分は日本に帰って、英語の教師になろうと考えていたのですが「もっとアートを学びたいならOCAD大学に行けばいいよ」と高校の美術の先生に勧められて。で、親とも相談したら「教師なんていつからでも始められるから、今は好きなことをしたほうがいい」と電話で話してくれて、大学受験を決めました。

◇実際にOCAD大学に進学されて、そこでクリエイティブな学生同士の繋がりや、印象的な授業などの思い出ってありますか?

OCAD大学で学びになったのは、現代アート、モダンアート、クラシカルアートとか、歴史の流れでどのようにアートが変化してきたかっていうのと、あとは「リベラル•スタディ」といってクリティカル•シンキングを促してくれるような授業が結構多かったので、考え方とかすごくオープンで柔軟になったかなと思いますね。
入学前はもっと技術的なことを教えてくれるのかな、と思ってたんですけど、意外ともう考える方がメインで、本を読んでエッセイを書くとか、歴史を学んだり、カナダの先住民が受けた差別や、フェミニズムの勉強とか、いろいろとコンセプショナルな授業が多かったのが印象ですね。

◇初めて売れた作品って覚えてますか?

高校時代の留学エージェントの方が…、僕が高2のとき、現地では「グレード11」って言いかたをするんですけど、そのとき『ナショナル ジオグラフィック』のライオンを模写した絵を描いて、それを2万円くらいで買ってくれましたね(笑)。

◇高校生で2万円は結構な大金だと思うのですが、そのお金はどのように使ったか覚えてますか?

お寿司食べ放題のお店でお祝いしたのと、たしかスケートボードを買ったと思います(笑)。

◇最高ですね(笑)。では、「自分は絵で食べていけるかも」と思った瞬間はいつでしたか?

最初にこう…ドーンってきたのが、4年生のときに「アーティスト・プロジェクト」っていう、学生&一般アーティスト向けのアートフェアで、そこに学生だったら無料で出展できるっていうコンテスト枠があって。それに参加して展示が決まりまして。
そこで自分の作品が全部…最初の1日目か2日目で売り切れたっていうのがあって。そこが「大学卒業しても絵で食べれるかも」と思った瞬間ですね。

◇では、卒業後は一旦就職するとかではなく、画家としてキャリアをスタートさせたんですね?

そうです。卒業して1~3年目くらいまでは経済的にも安定してないんで、アートの塾でバイトとして教えたり、自分のアトリエに人を呼んでクラスをしたりとかして、生活費を稼ぎながら食べてたんですけど、その1~2年はかなりキツかったです。
そのくらいにもうメチャクチャ金欠になったときがあったんですよね。もう預金が3万円くらいしかなくて…家賃がもう来月払えないって感じになって。で、親にサポートして貰うのは嫌だったんですけど、もう最後のお願いをして、20万円くらい送ってもらったのかな…。それで次の月の家賃だけはなんとか払えて。
そのときに絵を売るなり、授業をするなり、とにかく頑張らないとヤバイなって思い、ワークショップを始めたり、マーケティングを勉強して、自分の絵をどう売るかっていうのをかなり考えました。
それが2013年くらいかな…。そこにかなり熱を入れましたね。

◇生活費を稼ぐために、芸術とは関係ないような、例えば飲食のバイトをしたりはなかったんですか?

そうですね。また一応OCAD大学とか、ほかの専門学校からも、「ここのクラスで教えてくれない?」というオファーももらったんですけど、僕は学校のために人の成績をつけるのがかなり面倒に感じちゃうタイプなんで、それだったら自分で教えたらいいや、ってなるというか。
あとそういう仕事をしちゃうと時間が取られちゃうので、全部断って大学とかでは教えてなかったです。とにかく時間を取られるのがいち番嫌なんで、どれだけそういう時間を短縮できるかを重視してました。

◇先ほども子供の頃にジブリが好きだったと話されてましたけど、絵画だけでなく、映画や漫画、ゲームなどで、森本さんが影響を受けた作品ってどんなものがあります?

最初はやはり宮崎駿作品ですかね。幼少期にジブリが大好きだったんで、すごい観てましたね。
あとは…僕は集英社よりも講談社寄りの読者でした。ただタイトルはパッと出てこないですね…。集英社ですが『HUNTERxHUNTER』は好きでしたね。あとは『賭博黙示録カイジ』とか、『クローズ』とか面白かったですね。
でも1番好きな漫画は『ちびまる子ちゃん』です。僕のなかでは、さくらももこは漫画界のアイドル的な存在で、『ちびまる子ちゃん』の単行本を全部持ってました(笑)。
森本啓太
©️Keita Morimoto
森本啓太
©️Keita Morimoto / Nicholas Metivier Gallery
◇先ほど高校のときの先生が、レンブラント好きでって話もされてましたが、僕も森本さんの初期の作品を拝見してて、レンブラントが描いた肖像画みたいだな、とか感じてました。特に光と陰のコントラストをうまく使って、その人物の内面を力強く表現しているのかな、とか勝手に解釈してたんですけど。
でも森本さんの作品は、ある時期から光の描写の仕方が変わるじゃないですか。カラフルで幻想的な色使いで、今の森本さんのスタイルに近づいたというか。その変わり目でどのような転機があったんですか?

高校時代のトムリンソン先生にレンブラントの良さをすごい教えてもらっていたので。で、大学2年生のときかな…そのときにNYのメトロポリタン美術館で、レンブラントの作品を初めて生で観て。「これはもう絵の次元を超えてるな」くらいの立体感で、横から見たりすると、本当に人が立ってるような存在感があって。それを自分の絵の中にも取り入れたいなっていうので、レンブラントとかフェルメールとかオランダ黄金時代の作風とかテクニックをマニアックに勉強しましたね。
それでテクニックとか光の使い方とかもある程度上達したときに「レンブラントやフェルメールが今生きてたら、どういった光景を描くんだろう」って考えだして。それで4年前くらいに「街とか自分の生きている世界を描こう」と思って。だからレンブラントとかのストーリーとかモチーフを使っても面白いけど、彼らが今生きてたらどういうものを描くのかな、っていうところに焦点を変えたのが転機ですかね。
© Keita Morimoto / Nicholas Metivier Gallery
© Keita Morimoto / Nicholas Metivier Gallery 
© Keita Morimoto / Nicholas Metivier Gallery
© Keita Morimoto / Nicholas Metivier Gallery 
◇すごく面白いお話ですね。また森本さんは友人を被写体として描くことが多いそうなのですが、なぜでしょうか?

通りすがりの人が絵に入ってくることもありますが、僕が友人を絵の中に入れるのにはいくつか理由があるんですよね。一つは、構図や光を自由に表現できるということです。僕は絵というツールを使ってフィクションの世界を作っているので、リアルでありつつ、かなり非現実な世界も作っています。歴史上の画家が想像を使って色んな神話などを絵で表していたのと似た絵画手法です。
もう一つの理由としては…当然と言えば当然なのですが、僕は全く知らない人よりも、いち度でも接したことがあって、その人をもっと深く知った後の方が個性的に表現しやすくなるからです。僕の中で人物を描くという行為は、その人と長い対話をしてるようなものなので、いち度でも話したことがある人が適した被写体だと考えていますね。

◇なるほど。何点か作品を観させていただいたのと今のお話を聴いていて、森本さんの表現のなかでは“ナラティブ”という要素が重要なんだ、とも感じました。大半の人にはありふれた光景であっても、“その瞬間”、“その人たちが一緒だから”、という理由で、そこが自分にとってすごく特別な場所になるというか。森本さんの作品は、そういった人それぞれの視点があるんだってことを提示してくれているように思います。

たしかにナラティブやフィクションを絵の中で作るというのは意識しています。決まったストーリーを押し付けるというよりかは、見た人が個人の経験によって変わるストーリーを感じ取って欲しい、と願いながら描いているので。

◇では、今の作風の絵画を制作するにあたってのプロセスを教えていただけますか?

やりはじめの頃と比べると、今はかなりシステム化して、スピードも上がるようにはなってて。昔だと、大きな作品1つ仕上げるのに1ヶ月半~2ヶ月くらいかかってたんですけど、今だと2~3週間くらいで終わるまでに短縮できてますね。
で、手順でいうと、まず人物と街を別々にデジカメで撮影するんですけど、街に出て100~300枚くらい、まぁ1,000枚くらい撮ったりすることもあるんですが、その中から選別してフォトショップで加工して、新しくコラージュを作るって感じですかね。構図とか色も調整して、人を足したり、ものを足したり、空を抜いてほかのビルを入れたりだとか、コンセプトアート的な要素も結構あるかもしれないですね。デジタルコラージュみたいな感じでフォトショップはかなり活用しています。
そうしてできた原画をもとに、下地からはじめて、その上に油彩をのせていくって感じです。

◇制作する上でいち番気をつけていることは?

自由に描きたいっていうのがあって、制作中はあまり人に見せないっていうのがあります。昔はインスタグラムとかに、展示前の作品を1枚ずつ載せたりしてたんですけど、「いいね」の数とかコメント件数を…まぁ気にしなくてもいいんですけど、見ると勝手に入って来ちゃうんで。そこの影響は受けたくないから、制作中は作品を極力載せないようにはしてますね。

◇今も「自由に描きたい」というお話がありましたが、コミッションワーク(委託制作)とか仕事になっちゃうと自分のやりたい表現がしにくくなるとかありますか? 作品を売らなきゃとかではなく、好きだけで描けてるときは、自由にやれるわけじゃないですか。

実際、駆け出しの頃の方が精神的な自由度は低かったかもしれないですね。経済的な部分とか生活面で安定してなかったんで「どうやったら売れる絵が描けるかな」みたいなことを考えて描いちゃったり、自由に描くというよりはマーケットを意識し過ぎてたってのはあるかもしれないです。
今の方が実際、自由には描けてます。コミッションワークとかもよく作るんですけど、それもほぼ100%自由に作っていいよ、くらいのものしか受けてないですね。これぐらいの壁があって、このぐらいのサイズの絵が欲しい、くらいの要望の依頼しか受けないです。

◇これまで絵を描いてきて嫌になった時期ってありますか?挫折とかスランプとか。

大学終わって2~3年くらいはずっと…スキルの面で自分の中では低レベルだったんで、うまく描けないとすごく嫌になって。もう1日中そのうまく描けないことを考えたりしたんですけど、でも諦めるというよりは「なんでうまく描けないんだろう」っていうメンタル的なアップダウンは激しかったですね。
で、来月の家賃が払えないみたいなときは「もうアート辞めようかな」ってくらいまではいきました(笑)。

◇その時期は具体的にどのように乗り越えたんですか?

技術的な面に関しては、いち時期モントリオールとかNYの美術館に行きまくって、上手い絵は何がすごいんだろう、という疑問を解消したくて分析をしました。それでわかったのは、どれだけクリアにアーティストのビジョンが絵を通して伝わっているかが大事かということです。すごい絵って技術や構図と画家のメッセージや信念が究極に合致したときに起こるんだな、という気づきがありましたね。
またマーケティング的な面だと…ミレニアル世代、日本だとゆとり世代になるのかな…今の30代くらいの世代って、そのインスタグラムとかの全盛期を通ってきた世代かと思うんですよね。最初インスタとかを使い始めた人って、それがマーケティングツールになると思って使い出した人ってあまりいなかった、と思うんです。もう最近だとそういう感じで入ってくる人も珍しくないですけど、初期の頃は本当に自分の写真をあげてるだけみたいな、使われ方だったんで。誰もこんなにもメインストリームでツールとして使われるとは想像していなかったですよね。だから世代的にはラッキーだったのかな思います。それがツールとして使えるようになったという点では大きいですね。大学の同級生でモントリオールとかNYで活動してる人たちもいて、インスタグラムとかで100万フォロワーいたりするんですけど、「アーティスト= お金がない」ってイメージはもう変わってくるんじゃないかなと思います。仲間内でも話すんですけど「インスタグラムなかったら、ウチらのキャリアはなかったよね」みたいなことも言ったりしてますね(笑)。インスタグラムを通してギャラリーと繋がって、世界最高峰のギャラリーで展示してる子とかもいて。本当にこれがなかったらどうなってたんだろうな、みたいな。
森本啓太
森本啓太
◇帰国して拠点を日本に移した理由はなんだったんですか?

カナダにいたときに活動できてて、多分このまま10~20年続けられるなって感覚もあったんですけど、自分が飽き性っていうのもあって。やっぱり変化がないとだるくなっちゃうタイプなんで。
「なんかしよう」って思ったときに、NYかヨーロッパ…ドイツの大学院に行こうかな、と考えたりもして、NY、ドイツ、日本の芸大に進もうか、と行き先候補が3つありました。
で、20代の頃「日本で大人として生活してみたい」と思ってもいて。というのも日本人としてのアイデンティティを失っていく自覚があったので。だから再び日本に住んで、日本文化に触れて、そのアイデンティティを再認識してみたかったんです。
それで東京藝術大学の大学院に出願しました。今取材を受けてるこのアトリエも台東区にあるんですが、このアトリエを借りた理由もその大学院に行きたかったからで、合否の結果が出る前に借りたんですよね。で、不合格だったというのが今の状況です(笑)。

◇十数年ぶりに本格的に日本に住むわけですし、しかも地元も大阪で、東京にあまり知り合いもいなかったと。さらに奥さんもまだカナダから入国できていないって状況でした。かなり孤独でしたか?

東京に来たてのときは友達が2人くらいしかいなかったので、だいぶ精神的にキツいっていうのはありましたね。僕は人と遊ぶのとか好きなタイプなんで、ひとりで東京に来て、大学院受験して不合格だったというので「これからどうしよう」みたいな状態でした。
ただトロントのギャラリーとはいまだに提携してて、絵を送る約束になってたんで「まぁ絵を描いてたらいいか」みたいな感じで生活してたんですけど。そうですね…孤独感は結構ありました。作品にもその孤独感はよく出てる、って言われます。
© Keita Morimoto / KOTARO NUKAGA Photo by Osamu Sakamoto
© Keita Morimoto / KOTARO NUKAGA
Photo by Osamu Sakamoto
◇先ほども日本人としてのアイデンティティを失っていく感覚があった、と言われてましたけど、帰国後その面で苦労したことなどありますか?

僕は20代全てをカナダで過ごしたので、社会人としてはカナダ人寄りだと感じています。日本の同世代の人たちと特にマナーや常識の観点でコミュニケーションの仕方も異なると思います。頭の中も英語脳になっていて、モノゴトを英語ベースで考えるし、夢の中の会話なども英語で展開されたりするので。
なので今は留学前の16歳当時の自分に子供返りしている感覚もあって、日本の文化などを再学習しているところです。ただマナーや義理文化など完全にカナダ人になっていないところも持ち合わせているので複雑なのですが。

◇現在は奥さんも約半年遅れで入国され、友達も増えてきて、日本の生活は充実してきましたか?

楽しいですね、やっぱり(笑)。ご飯が美味しい。日本に帰りたかった理由で大きかったのは、ご飯や温泉とかですね。日本のサービス業はレベルがすっごく高いっていうのもあって。コンビニに行って、すごく美味しい食べものが買える、という便利さとかが、カナダにいて恋しかったですね。

◇今後の展望についてもお聞きしていいですか?

東京に来てから、KOTARO NUKAGAギャラリーの額賀さんと出会って。で、その出会いも、皆さんご存知のClubhouseっていうアプリで(笑)。
僕が大学院に合格できずに、すごく落ち込んでた、その2~3週間くらいの期間で日本でめちゃくちゃClubhouseが盛り上がってたんです。村上隆さんもそうですし、いろんなコレクターの方たちもClubhouseで話をしてて、「面白いな」と感じて僕も参加してました。そこで小さいアートの部屋があって、そこに入って、僕も挙手してつまらない話をしてたんですけど、その部屋に額賀さんもリスナーとしていて、少しお話しできて。で、「今度アトリエに遊びに行かせてください」ってDMも送っていただいて。
そこで出会ったのがきっかけで、KOTARO NUKAGA(天王洲)さんで今年、個展を開催する運びとなりました。
なんかすごいタイミングですよね。Clubhouseって今は本当にもう誰も入ってないんで。そこは人生の転機になったんじゃないかな、ってかなり感じてますね。もし大学院に合格してたら、入学の準備とかで忙しくなって、Clubhouseとかやってなかったはずなんですよ。だけど不合格になって、やることがなくてClubhouseでアート業界の勉強とかもさせていただいて、そこで額賀さんと出会ってるんで。
で、個展までの準備期間が6ヶ月しかないって状況だったんです。いつもだったら1年~1年半くらいの期間で展示の準備をしたりするんですけど、6ヶ月で準備となったときに「これは学生時代の熱を取り戻すしかないな」という感じで、かなり全集中で取り組みましたね。
それで意外と…その覚悟を決めたら、クオリティも落とさずにスピードを上げれるんだな、ってことに気づかされました。なので、今後はそのスピードを保ちながら、いろんな展示の展開をできたらいいですね。

◇最後にKOTARO NUKAGA(天王洲)さんにて11月20日(土)から始まる個展「After Dark」についてお伺いしたいです。今回の展示のテーマと意気込みをよろしくお願いします。

NUKAGAギャラリーのライターさんで北さんという方がいて、その人に“ヘテロトピア”という哲学者 ミシェル・フーコーのアイデアを教えてもらって。全員が目指すけどこの世界に存在しない最終地点がユートピアであるのに対して、この世界に存在しながらも自分の内面的な部分やモノの見方を変えることによって到達できるのがヘテロトピアというらしいです。そのアイデアがすごくしっくりきたんですよね。というのも普通は自動販売機とか見ても多くの人は何とも思わないはずだけど、描いてみると意外と宝石箱みたいになることもあって。つまらないもの、陳腐なものを見方によって、どのように綺麗に見せるか、感動するものにできるか、っていうのを僕は結構普段から考えいて。絵を描いていると、自分の中でもそのヘテロトピアを作れるというのがあって、絵にはそういうふうに自分も助けられている感じはありますね。
またカナダから日本に帰ってきてすぐの頃は、所謂外国人観光客が興味を持ちそうな場所に惹かれてました。でも額賀さんと対話を繰り返すなかで気がついたのは、僕のコンセプトはもっと匿名性が高い、何気ない風景にフォーカスするってことでした。帰国してから意識せずに惹かれていたものと、カナダ時代に描いてたものとでズレが生じていたわけですね。そしてこの気づきのおかげで、もっと自分の中で通底しているものを引っ張り出せたという感覚があります。
さらに僕にとって、作品にミステリーや余白を持たせるというのはずっと大事にしてきたことです。明白にしすぎないことで受け手の興味や想像を広げてくれるということがあって、自分が発信者・受け手の立場に関わらず重要な要素だと感じてます。なので僕の作品を鑑賞してくれる方には、そのようなナラティブの中にあるミステリアスな余白も楽しんでいただけると嬉しいです。
森本啓太
PROFILE
森本啓太 | Keita Morimoto
1990年生まれ 大阪府出身。2006年16歳のとき単身カナダに渡る。
2012年にオンタリオ州立芸術大学(OCAD大学)で美術学士号を取得。
2021年に日本へ帰国するまでの15年間をカナダで過ごす。
現在は東京を拠点に活動。
https://www.keitamorimoto.com/
Interview & Text & Video : Yasushi Kishimoto
Photo & Video : Ryota Kuroki
Original Music : shigge