Frontier feast SHINTARO TANIGAKI
今、一番気になっている飲食店は?”
この問いに対し、多くの飲食関係者が口を揃えてこう答える。
「OFFとTANIGAKI」
[OFF.KINOSAKI](以下[OFF])は兵庫県豊岡市、[TANIGAKI]はお隣の養父市というローカルに位置しながらも、洗練された料理と地域に根ざした活動で全国的な注目を集めてきた。それぞれの店主は、谷垣亮太朗さんと谷垣伸太朗さん。2人は双子で料理人。
彼らが同業者から強く注目されているのはなぜだろう。
彼らは飲食の提供を通してどんなことを伝えている(伝えたい)のだろう。
[OFF]に続いて、居酒屋[TANIGAKI]を訪れた。
※[OFF]の記事はこちらから
“OFF Bowery | RYOTARO TANIGAKI”
https://gooderror-magazine.com/feature/off/
1.「場の力」渦巻く東京のカフェブーム。
◇[TANIGAKI]や[OFF]の原点には東京の “カフェブーム”の存在があったと伺ったのですが、お店の立ち上げのお話を含め詳しく教えていただけますか?
僕が東京で料理のキャリアをスタートさせた90年代後半頃、駒沢に[BOWERY KITCHEN]というカフェができました。夜な夜ないろんな業界の人が集まるような場で、深夜2,3時でも人が溢れていて活気があったんです。今だったらSNSで情報収集や交流も気軽に行えますが、当時は現場に行かないと得られない情報とか出会えない人とか、そういう一期一会の繋がりとそこに対するみんなの熱量がありました。僕は料理と同じくらい音楽や洋服も好きだったので、そういったカルチャーが自然に混ざり合っていて「場の力」のようなものが渦巻く空間に惹かれ、「いつか僕もそういう場所を作りたい」という気持ちを抱くようになりました。
2000年、25歳の時に中目黒で[谷垣]をオープンして、3年くらい続けたあと地元に戻ることになるんですが、帰ってきてからもそういう人が繋がるハブのような場所を作りたいと思っていました。
◇それが現在の居酒屋[TANIGAKI]ですね。
はい。東京のお店はビストロだったんですけど、地元では間口を広げていろんな人に来てもらうために「居酒屋」というジャンルにしました。ここを訪れた人たちが交流できて、新しい何かが起こるような。なので東京のカフェブームの影響は大きいです。
◇[TANIGAKI]はローカルから全国に発信し、また全国から人が集まる場所という印象が強いですが、そうなるまで時間はかかりましたか?
正直厳しかったですね。この地域には食材にしても自然にしても良いものが眠ってるんですけど、地元の人って「地方=ネガティブ」と捉えている人が当時は多かったように思います。なので自分たちが暮らしている土地のことを肯定的に見る人が少ない。その頃は今のようにローカルが注目されるなんて思ってもなかったですから。数年ほどは手応えもなくモヤモヤとした暗黒時代がありました(笑)
◇それが良い方向に変わってきたのはいつ頃からで、何がきっかけだったんですか?
東京の手描きアーティストの「CHALKBOY(チョークボーイ)」ことヘンリーさんとの出会いはとても大きいです。都内の飲食店で彼の作品を見かけて一方的に知っていて「うちも描いてほしい」と密かに思っていたんですけど、こんなローカルのお店と繋がるのは難しいだろうとなかば諦めていたんです。
そんなある日、キャンドルの輸入代理店を営んでいる地元の友達から「東京での展示会にCHALKBOYが来て」と話されたんです。「俺もその人にロゴとか作って欲しいって思ってたんだけど!」と話したら、その友達が「ダメもとで一回聞いてみよう」とその場でメールしてくれたんです。そしたらヘンリーさんから「近々、伊丹空港に行く機会があって、この時間でしたらお会いできます」と返事が届いて。乗り換えの間のわずかな時間だったみたいなんですけど「行くしかない」と思い、弾丸で伊丹に行きました。そこで初めてお会いして、いろんなことを話した時にすごく意気投合したんです。
◇その場でデザイン依頼のお話もされたと。
「10周年を機に店のロゴや店内の雰囲気を一新したくて」と話しました。毎年開催している周年イベントの話をすると「じゃあそのタイミングで描きにいきます」と言ってくれて。それまで周年イベントは店内でやってたんですけど、チョークボーイが参加するとなると、店内でやれる規模ではなくなるので、近くの酒蔵を会場として使うことにしました。でも今度は場所が広すぎるので、地元の仲間を出店者として誘って開催することにしました。チョークボーイにも「こういう人たちがいる地域」と知って欲しかったのもありますね。そうやって始まったのが「タニガキフェス」です。
◇始めは個人の依頼だったものが「フェス」の形にまで!伸太朗さんのフットワークの軽さや熱意も含め、共感するものがあったのかもしれませんね。
そうですね。当時のチョークボーイは忙しすぎて、個人の依頼は断るものも多かったそうなんですが「谷垣さんとだったらやりたい」って思ってくれて。タニガキフェスにも東京から出店者を連れて来てくれたりして少しずつ規模が大きくなっていきました。ありがたいですし、すごく良い出会いでした。
そうやってチョークボーイさんをはじめ、外の方たちとの活動のおかげで地元の魅力を内側にも外側にも伝えられたと思います。特に外からの人たちの声は地元の人にとって大きくて「自分たちが住んでる町って素晴らしかったんだ」「普段食べてるものって実はおいしいんだ」と思ってもらえるようになりました。
2.地元の魅力を“料理”する[TANIGAKI]がもたらしたもの。
◇地元の食材や有機野菜を使うことへの強いこだわりもお持ちですが、そういった食材を通して、美しくおいしい料理を表現するためにはシェフとしての腕も欠かせないと思います。料理のスキルはどのように磨かれたんでしょう?
キャリアのスタートはフランス料理です。2年ほど東京のフレンチレストランで働いて、技術を叩き込んでもらいました。めっちゃ体育会系のところでしたが、そこである程度のベースができました(笑) あと「居酒屋」なので、いろんなジャンルの料理を作りたいという思いもありました。最近はスパイスやハーブを取り入れた料理を好んで作っています。
◇メニューは今もなお新しく更新されていくんですか?
そうですね。常に「新しいもの、おいしいものを作りたい」という欲しかないので。人気のあるメニューも常にブラッシュアップしていきたいと思っています。地元の食材を使って、良いもの、おいしいものを作りたいです。それを繰り返していくことで遠くの方にもこの土地の魅力も伝わると信じています。そのためにとにかく地元の食材を掘っています。
◇生産者と消費者を繋いで地域の魅力を発信するうえで、どんな部分が難しかったですか?
難しいことだらけです(笑) 自分がやりたいことと経営のバランスだったり。自分がやりたいことに振り切ってしまうとお客さんについてきてもらえないですからね。料理1つとっても、見栄えが良いものを作りたいという気持ちもありますが、この場所ではそういう表現をする必要はないと思っています。自分の表現したいことと地元のお客さんに喜んでもらえることのバランスを常に考えています。
◇地元の食材と出会ってからメニューを考えるプロセスを詳しく教えていただけますか?例えば朝倉山椒は、料理やシロップに活用されたりとアイデアが光っています。
朝倉山椒との出会いは、ちょうど僕が帰ってきた頃に、朝倉山椒を盛り上げる一環で開催されていたコンテストに参加したのがきっかけです。周りは山椒を使った佃煮や炊いたものとか、昔ながらの料理を作る方が多くて。でも僕の店のお客さんにはもっと自由な発想で山椒を楽しんでもらいたかったのと、せっかくなら他の人がしないことにチャレンジしてみようと思って山椒をドリンクやスイーツに落とし込んでみました。そしたら意外と周りの反応も良くて、定着しました。
それ以外の食材も何か上手に使えないかなと、日々悶々と考えています。
◇[TANIGAKI]の存在を受けて「町がこう変わってきたかも」という手応えを感じることはありますか?
スタッフが地元で独立していってくれているのは、手応えというか長年続けてることの一つの結果かなと思います。今までうちで働いてくれたスタッフは50人以上いるんですけど「自分のスタイルを見つけて独立して欲しい」と伝え続けてきた結果、6人くらいは地元で独立しています。そうやって少しずつお店が増えることで、地元から外に出ている人が「地元が盛り上がっていて楽しそう」と感じてくれて、都会からUターンしてお店を開くという流れも生まれてきています。それから養父市は「国家戦略特区」に指定されていて、就農する人への支援が手厚いんです。そういうのもあってUターン、Iターンの移住者も少しずつ増えています。「好きなことを頑張ってやってたら地元でもやっていける」ということは[TANIGAKI]を通して示せたかもしれません。
3.ローカルでかっこいいことを。オーガニックレストランの横の繋がり。
◇長崎県雲仙にある[BEARD]のオーナーであり料理人の原川慎一郎さんと親交があるのも興味深いです。やはり料理への向き合い方において共鳴するものがあったんでしょうか?
シンさん(原川さん)は目黒でレストランを経営されていたんですが、新しいお店を出すにあたって日本全国のオーガニック農家をまわって現地で料理をする旅をされていたんです。それで八鹿にも来てくれて、一緒に地元の生産者を回ったりいろんな話をしたりしました。
その後シンさんは長崎の雲仙の岩崎さんという有名な農家さんと出会い、その人の野菜を食べた瞬間に衝撃を受けて「この人の近くで料理したい」と決心して東京から移住されたんです。
◇ローカルの可能性を積極的に見出すという点で伸太朗さん亮太朗さんと共通するものを感じますね。
ちなみにシンさんが長崎行きを決断したのは、僕と亮太朗と飲みながら話していた時の内容がきっかけだと言ってくれたことがあります。僕らはその時に何を話していたか覚えてないんですけどね(笑) でも僕らのようにローカルでこういう店づくりができることが心に残ったみたいで。僕らはもちろんシンさんのことを知っていてリスペクトしていたんですが、彼も僕らのことをリスペクトしてくれるようになって、お互いに行き来していろいろやるようになりました。
◇改めて繋がりの広さと、一つひとつの繋がりの濃さを感じますね。
皆さんのおかげです。いろんな方が興味を持ってここを訪れてくれて料理やお酒を楽しんでくれて、またアイデアが生まれて。そういった空気感が少しずつ広がってきているのかなと思います。なのでいろんな人が来てくれるのはとてもありがたいです。
インタビュー中に出てきた「タニガキフェス」だが、昨年は日本各地から実に30店舗の飲食店が参加するなど、もはや都市部でも滅多にみられない規模のフェスに育つほどに。2日間、食や音楽を通して人々が繋がり、そこからまた新たなアイデアや活力が生まれる。そこにはまぎれもなくかつて伸太朗さんが憧れた「場の力」がみなぎっている。
PROFILE
谷垣 伸太朗 | Shintaro Tanigaki
料理人。高校卒業後上京。大学と料理学校のWスクールを経てビストロやカフェで料理経験を積む。2000年、中目黒[谷垣]をオープン。その後、地元兵庫の豊かな自然に可能性を感じ、2005年地元に移転する。都市と地方との垣根を超えたイベント「タニガキフェス」は年々大きな反響を呼び、全国にファンを拡大し続けている。
TANIGAKI
〒667-0021 兵庫県養父市八鹿町八鹿1645-1
営業時間:昼 11:30-15:00 / 夜 17:30-22:00
定休日:日・月
Direction & Interview & Photo : GOOD ERROR TEAM Text : Seiji Horiguchi