Radical things JUN ITO
名古屋市在住の画家、伊藤潤。 出会った時から真っ直ぐでハードコアなプライドを内に秘めた熱い男だ。一方で控えめで几帳面な性格も持ち合わせており、その風貌とは裏腹に何事にも丁寧な姿勢にはいつも感心させられてしまう。そんな彼が抱える情熱や矛盾の全ては、徹底的に自分と向き合うことで、鋭く作品に落とし込まれていく。 彼と絵の関係性、これまでとこれからを、インタビューで掘り下げてみた。
◇潤くん、今日はよろしく!簡単にプロフィール教えてもらってもいい? 今は36歳で、名古屋在住です。 妻と1歳8カ月の娘がひとり。 グラフィック関係の仕事をしながら、絵を描くことを続けてます。 ◇東京にいたのは3年間ぐらいだっけ? 3年くらいですかね。 仕事の都合で名古屋に戻ることになって、その後も変わらず絵を描いてます。東京時代に妻との出会いがあって、結婚は名古屋へ戻ってきてからですね。 ◇潤くんが絵を描き始めたのっていつぐらいから? 自分の中では大学を卒業してからです。 学生の間も描いてたんですけど、それは学校の課題に対しての答えを出すみたいな感じでしたね。 ◇与えられたものに答えを出すみたいな? そうです。 時間見つけてはデッサンとか練習したりしていましたけど、美大じゃないから美術教育をしっかり受けたとは言えないんですよね。自分の作品として描き始めたのは卒業後ですね。
◇絵を描くのは昔から好きだったの? そうですね。ちっちゃい頃はドラゴンボールのキャラクターを描いて、兄ちゃんと描いた紙で戦わせた記憶がありますね(笑)。 中学生くらいのときは、絵を描くのが好きな友達と公園集まって、地面に絵を描いてました。でもずっとスケッチブックを買ってて、夜な夜な描くのも続けていましたね。 ◇なるほど。当時は何を描いたりしてたの? CDのジャケットを模写してみたり、漫画を見ながら、「顔のこの角度って、こう描くのか!」って。そんな感じで模写みたいなことをしてましたね。 ◇大学では絵を描きつつも、それが専門じゃなかったんだよね? 僕が行った大学はグラフィックデザインを勉強するところでした。 ただ僕が付いてたが先生が、絵描きだったんですよ。その先生に「美術のこと何も知らねえな、勉強しろ」って言われて。なので、学生生活の終盤は自分の制作のために美術史を勉強してましたね。 あと卒業後に同じ学校の先輩・後輩を集めて展示をした機会があったんですけど、その展示で先生が僕が描いた絵を見て「やっぱり全然ダメだ。お前もう描くの辞めたら?」って言われちゃって。 ◇それは先生が展示を見に来てくれて? そうです。「辞めたら?」と言われたときに、「あぁ悔しいな」って込み上げてきたんですよね。でも内心ね、「確かに僕は才能はないな」って感じてたので、納得もしたんすよね。 だけど、どうせ何も飛び抜けたもん持ってないけど、描きたいと自分でおもってるんだから「やっちまえ」って開き直れたんですよね。 ◇自分の中で、腑に落ちたんだ。 そこからは変な悪い自信も無くなったし、作品1枚1枚にベストを尽くしていく事しかやれることはないんだな、と思ったんですね。 気負わずに制作のペースもいいペースで描けるようになってきたし、自分で自分の時間作って、やりたいようにやってく。その先生に「それでも描くんか?」って言われて、あの時はうまく喋れなかったけど「それでもいいから続けてみます」って。 ◇潤くんは、そうアンサーを返したんだね。 返しました。その人は愛情のある人で、画材とか絵を描くためのいい紙って、買うと高いじゃないですか。それをある日、練習用に大量にくれたんですね。 「これ全部描け」って。今思えば、僕は描く量が足りなさすぎるから、その人なりの応援で画材をくれたんです。めちゃくちゃありがたかったですね。 だからそこで、いい作品になるか・ならないかは別として、とにかく手を動かそう、というのが目的になりました。スポーツみたいにのめり込んだら、自分の生活のなかで絵を描くことが当たり前にするためのいいトレーニングになった。 それが僕が絵を描くスタートです。当時の僕は沸々といろいろ描きたいものが湧き出て、それを描かずにはいられないっていう状態よりも、「とりあえず俺は描かなきゃ」っていう課題を与えられたから。それでエンジンがかかった気がするな。 ◇潤くんを見てた先生が自分なりの判断をしてくれたのかもしれないね。続けるんだったら、まず描く量を増やせっていうことがメッセージで。いろいろ描けば上手くもなるし、潤くんの中で描いていく動機が生まれて。それがトリガーになって、色々と繋がって。 その紙はどれくらいの量で、どのぐらいの期間ですべて描き終えたの? 期間は3年ぐらいですかね。和紙って変な形の奴が多くて、中にちょっと折り畳んであって、幅が80センチ、縦1m60cmくらいの薄い和紙なんですけど。 枚数は…何枚あったんだろう。実際に数えたことはないですね。それを全部作品にしたっていうよりも、切って貼ったりとか、紙を重ねて貼ってみたり、コラージュや作品にする前のドローイングの材料にもしたかな。 ◇潤くんの絵って今まで色々な作品があるけど、創作物として作って、最後に1枚の絵になることもやっていたもんね。数え切れない和紙が今の創作活動にいたったベースの1つにあるんだね。「1枚紙を買って描いてみよう」って何もないところで始めていく考え方と、すでに用意されているものを「さあどうしようか」だと変わるよね。 その紙があることで、重ねたり、切って貼ってみたりしたら面白いんじゃないか、っていう創作活動になっているわけなんだね。時間をかけてゆっくり自分のペースで実験をしてきて、それを経てどう続いていったの? 僕が持っていた和紙はすごく薄いから、水を使う絵の具だとほとんど破けて描けなかった。なのでそのときは木炭とかパステルを使って描いてたんですけど、そんだけ描くと道具として和紙の感触に慣れてくるじゃないですか。同じ和紙でも、和紙の分厚い紙とかを探すようになっていって。 で、その頃は妻と付き合い出すタイミングだったんです。妻は骨董市に行ったりしてたから僕もついて行くと、コラージュに使えそうな和紙が転がっていたんです。他にも色々面白いものも見つかったので、そこで材料を買って描いてた感じですね。 ◇画材屋で買って描くみたいなスタンダードとはまた違う路線で、奥さんとの出会いが影響としてあるわけじゃん。それで古いものを道具として使うようになったんだ。 そうですね。その影響でやってみるようになりました。
◇で結婚をして、奥さんは古布も使いながら、自分で服を作っている、その一方で潤くんは絵を描くことを変わらず続けているわけだよね? パステルで和紙に描いていたときから、どう環境が変わっていったの? 絵の変化みたいな話をすると、木炭で描いたときは、基本的に自分のことを描いてたんです。何かをモチーフにしたわけじゃないんだけど、自分の顔のパーツを描いたりしてた。名古屋に帰ってきてからは趣味で古物を見るようになったんですね。古物って人それぞれ好きな場所・形・時代とかバックボーンに興味があって集める人が多いと思うんだけど、僕は素材感とかテクスチャーが好きで見てて。 「このテクスチャーを描こう」って画像として自分の頭の中に残っていても、それは木炭では出せないんですよ。そうしたら画材が変わって、スプレー、アクリル絵の具に変化していった。そうして色を使うようになったので、最初はいろいろ実験しましたね。スプレー吹いた後にダンボールの切れ端ではぎ取ってみたりだとか絵筆を使わずに描いてみたり。そんなトレーニングみたいな感じでやり始めたのは、名古屋帰ってきてちょっと経ってから。そのときに得た自分なりのテクニックは今でもバリバリ生きてて、あれはいい練習になったな。 ◇僕らは作品として出来上がったものを観てたんだけど、潤くんがそこにどうして辿り着いたか?ってプロセスがやっぱりあったんだね。古物の1つ1つの素材感が面白いから、そこにこうしてみたらどうなんだろう?みたいな実験を繰り返し、その先の結果が今なんだね。 そうですね。あとずっと続けているのが縦の分割線。素材感や何の上に描くかとかそういう話じゃなくて。今では、ほぼ縦ですけど縦や横、斜めに入れてました。 途中で止めている時期もありましたけど、分割線が入っている作品は多いです。 学生時代に映像作品を作って、自分でドローイングしたコマ撮りの映像をプロジェクターでスクリーンに映すって作品。細い縦の板を奥行きを入れ違いに並べて囲い5、6枚ボコボコと並べたスクリーンにプロジェクターで投影したんです。真正面から見たときはある程度映像のままだけど、奥行きがあるからズレる。横から見ると入れ違いだから板と板の間に真っ黒の線が入って、映像が割れる。その作品以降も縦に割れるイメージはトライしていこうって。 ◇それが今も残っていると。 大学では設備があったけど今は機材がなくて。そのイメージを平面に起こし始めたんです。縦の分割線を入れてズラすとか奥行きをずらしたり上下にズラしてみたり、それはずっと続けてること。
◇目で見えてる立体を平面に起こしてみるってこと? その映像作品は立体物に映像を映すという形式で、横や真正面から見える像を平面に起こすんです。 ◇なるほど。潤くんの個展「現自点」を観させてもらったけど、確かに分割線をやってたね。 自分の映像作品を発展させてるという意識はあるんですね。やっていることは同じで、平面に起こしたときにどんな風に奥行きが生まれてくるとか。縦に分割して、距離がズレてるように見えると、そこに時間の差みたいなものが生まれる感じ。そうすると平面の作品に遠近法とかじゃなく、奥行きとか、何かを1つプラスして時間とか見えないものを感じさせるように出来たらいいな、とは考えてますね。 ◇ずっと実験で絵を描いてきたけど、モチーフに変化はあった? もうしばらくずっと自分のことを描いていましたね。 ◇これも自分なの? 何かと言われたら自分ですね、内的なイメージですけど。自分の姿・形を描いているわけではないです。僕は、縦の分割線でどういう画面が生まれるか、っていうのをトライしてる気持ちの方が強い。モチーフはズラすための素材。案外なんでも良かったりするんです。具体的なモチーフの方が、ズレてるって認識しやすいじゃないですか。 ただ子どもが1年半くらい前に生まれたので、妊娠中の妻と生まれたての娘の絵は描き残したいな、という欲求はありました。それでふたりを記録しつつ、ズラしてみようって(笑)。あとは、娘が生まれた年に親父が死んだんです。そこで親父の骨をもらってきたんですよね。自分のそばに置いておきたかったし、ズラしたかったから(笑)。 ◇遺骨を?(笑) そうそう。家族をモチーフに描いてたから父の姿・形はなくなったけど骨を描こうかな、と思って骨を何枚か描いてみた。あとはこの間、愛犬のコテツが死んでしまって、今度描こうかなと思ってます。 ◇それもズラして? そうです。骨って静物画になってくるじゃないですか。これからは置いてあるものを描くトレーニングです。これから愛犬の骨を描いて、その後は骨董市で見つけて「いいな」と思ったものを並べて描こうと思ってます。 ◇今までは自分の内側にあるものを描き起こして、ズラしてた。今はあるものを描いて、そこからズラしてみようかな、みたいな感じなんだね。 家族を描き始めたのをきっかけに、そういう考えになりました。娘の写真を撮ったりして、見たものを描いてるから。対象が外側に向いてきたって感じですね。ズラす・ズラさない抜きにして、静物画なんて多くの人が取り組んできたテーマだし、新しくはないんですけど、これからそういうものこそやってみようかと思ってます。 ◇潤くんの作品が欲しいって言われるときは、どんな感じで頼まれるの? 僕はずっとプライベートの活動で、ただ好きでやりたいからやってるだけ。お金にすることは積極的にやっていなくて。僕は仕事しているから別にそこで食っていけるし。だから絵描きとして食ってくっていう感じじゃないんです。 ◇描いて売らないと生きてけない、ってことじゃないわけだね。 描く行為を誰に求められるわけでもない。命令されているわけでもない。唯一自分の好きなようにやれる。自分の中では家族との生活よりもプライベート。すごく自己満足的な活動だから。 ただ、名古屋に戻ってきてしばらくしてアニメーションを作りたくなって、「BLANK OUT」って映像作品を作ったんですね。入れ違いのスクリーンに映す作品で、僕の個展「現自点」でやったやつ。音はそのとき僕が好きになっていたhotaruって岐阜県出身のフィールドレコーディングで音楽を作ってる人に頼んでみたんです。 そんな親しい仲ではなかったんけど、その人のライブを観て以来すごい好きだったから少し迷いながらも頼んでみたんですね。アニメーションが出来上がって観てもらったら「やりたい!」って言ってくれたので、お願いしたんです。 一方でhotaruはsalmonellaって名義で活動してたときのアルバムをもういち度同じ内容で出すけど、パッケージで変えてやるから「ジャケット描いてくれない?」って言ってくれて。ギブアンドテイク的な感じですかね。 その後、Illegal coriandersというバンドの人と飲み屋“大大大”で知り合って、僕の絵を見て「アートワーク描いてよ!!」って飲み屋のノリで成立したんですよね(笑)。 ◇それで成立したわけだ(笑)。 そうそう。頼まれるのってだいたいそういうノリですよね。きっかけは飲み屋なんです。そういうの楽しいじゃないですか。 ◇名古屋の人たちや潤君の周りの人に何度か会わせてもらって気付いたんだけど、人間関係の発展の仕方が東京とはまるっきり違うな、と感じるんだよね。俺の中では仲間の広がり方が名古屋は「いいな」と思うの。肩書とか何かをやっている人って看板に吸い付いていくんじゃない感じで。 確かに、そういうのはないですね。 ◇自分が通っている飲み屋で飲みながら仲良くなって、一緒になんかおもろいことできそうだね、っていうコミュニティ。ある意味うらやましいっていうか、本来のあるべき姿だなって思えたりする。 東京にいると偏見かもしれないけど、ネームバリューとかブランドに吸い寄せられる人が多いのが、こういう仕事をやりだしてすごく感じてた。「初めまして!」って誰かに紹介されたときに、「何をやってます」って言わなきゃいけない雰囲気が未だに苦手なんだよね。でも名古屋のみんなって、「別によくない? そういうの置いといて、とりあえず飲みましょうよ!」って。名古屋の人たちを見ててそれがいいなーって。 やっぱりそんなのいきなり言い出しても、「だから何なんですか」みたいになるんです(笑)。僕もすごい狭い世界にいて顔が広いわけでもない、だけど同じようなノリで楽にお酒飲める人たちばかりです。 ◇潤くんに紹介してもらった人って、情報の入ってくる順番が「仲いいんですよ!」から来るから、信頼度は高いじゃん。「僕は何をやってて」って来る人は構えちゃう。 俺から見ている潤くんの周りにいる名古屋の人たちを「面白い」って感じれるポイントはそこだなって。 東京に比べたら人も少ないし街も小さいから、飲み屋は僕らみたいな常連さんが多いんだけど、そこにはバンドやってる人とか外に出るの好きな、遊んでる人達が多いから。 あと東京と比べて情報の回り方は早いと思ってて。誰が何やってるのかって、もう会ったときには認識しちゃってるってことが多いですね。だからわざわざ最初にそれをしゃべる必要もないってのもあるんですよ。
◇じゃあ、もしかしてCampanellaくんもそんな感じで繋がったの? 飲み屋ですね! ◇飲み屋なんだ!飲み友達の周りのひとりとして、紹介されたの? 元々の地元の友達と繋がっているとかではなくて。飲み屋で会って「あ!Campanellaだ。俺の友達もこの間ライブ観に行ってたな」みたいな感じで。僕は顔を知ってるけど「Campanellaくんだよね?」みたいな言い方はしてないですね。飲んでて、僕の近い人と友達になってるから、僕も飲み友達になって喋る感じでしたね! ◇ 彼は潤くんの絵は知っててくれたの? 「現自点」の絵は見てくれてたらしくて。 ◇自分の知らないところで? インスタとかSNSかもしれないけど、「絵、いいっすね」的な話をしてくれた気がします。hotaruやIllegal coriandersをやった後に、『AMULUE』のアルバムが出る前から「次やるときに潤くんに絵を頼んでもいいですか?」って言ってくれたんです。「俺のやつでよければ!」ってOKしましたね。彼もアルバム通してのイメージを持っていて「潤くんはいつも黒い背景で暗いの描くじゃないですか? でも今回は夜っていうよりはクラブ明けの朝かなー」みたいな。あとは彼を描く。そのイメージで好きにやってください、って。僕も真面目だから「好きにやれって言われても…、製品になるし、残るものだからもっとヒントくれよ」って(笑)。 ◇自由度が高すぎたんだ(笑)。 僕も常々迷いながらやっているわけだし、正解なんてものは自分の作品でさえ出てないわけで。「難しいなあ」と思いながらやりましたね。 不安もあるから、早め早めに描いて写真撮って「この色のイメージでいいですか?」ってこっちから提案したら、彼は「いっちゃってください!」って言ったけど、本当にいいのかなぁって(笑) 彼ってあまり要望がないんです。あんまり言ってくれなかったんですね。僕もいろいろ考えちゃって。想像していたのは、こういうモチーフが入っていてほしいとか、具体的な指示あるかな、と思ってたからびっくりした。でもそれで「本気見せろ!」と勝手にそういうマッチョな考え方になっちゃって。俺を完全に試しにきているなと(笑)。「俺はラッパーだから曲で本気を出しているし。潤くんに頼んだんだから、俺にそんなグッチャグチャ聞くんじゃなくて、テメェでやれよ」っていう意図も感じだしちゃった。自分で勝手にね。
◇自己解釈しちゃったんだ(笑)。 それで彼のアートワークをやってみて、良かったなと思った出来事があったんです。とりあえず1発描いたんですよ。僕が「9割くらい描けたな、あと少しだ」って思うぐらいの作品を見せたんですよ。そうしたら彼が、「もっと攻めてもらった方がいいっすね」って。初めて彼の要望に触れてみて、俺も勝手に解釈モードに入っているから、「足りてない。もっと来い!」ということか、って奮い立って。それより攻めてと言われたので、壊し始めた。ズラしたり、塗りつぶしたり、背景を足していったりして、最初に画像を送ったときよりも「これはいけるだろ」っていう気分になって見せたら「いきましょう!」って。そうして到達出来ましたね。あと2歩3歩いく体力と作品を壊していくというか、人の作品だから縮こまっていた部分はあったのかもしれなくて、本当に感謝ですね。自分の作品にもいい影響があったな思います。 ◇プライベートを超えたことで、向こうに寄りにいく意識もあったってことなのかね。 そうだと思いますね。 ◇プライベートだったら、自己完結だから自分の納得するところで止めることもできるし、滅茶苦茶にもできるけど、今回は成果は絶対必要で彼の要望の自由度が高いなか到達点にズレがあったんだね。ひとりでやってるわけじゃないからそりゃ発生するよね。向こうも妥協したくないし、お互いそうなわけで。今の自分を限界値まで持っていった後に擦り合わせがあって、拡がりがあったんだね。 うん。それはホントよかったです。 ◇彼に「もうちょっと来て!」って言われた絵は普段の絵とは遠かったの? 遠いですね。無難なやり方をしてたんです。彼が僕の絵を観たことあるから、気づいたんじゃないですかね。「潤くん、普段の絵よりも攻めてないなー」って分かってくれたんだと思います。「潤くんに頼んでんだから、いつも通りもっとやっちゃってくださいよ」っていう話だと思うんですけどね。 そこでいろいろ得れて、背景の描き方とかレイヤーが重なっているような表現の仕方は、自分の作品に使えるところまでいかせてもらったな。
◇最後に、今後はどうしていきたいですか? 時間を見つけて、好きに描いていくだけ。 展示できる場所も自分で作ったし、描いたら見せて、また描いての繰り返し。 ◇見てもらうことって潤くんにとっては大事? 大事ですね。僕はセンスとか優れたモノとか持ってるとは到底思えない。見てくれた人たちの意見を全部受け止めて、鵜呑みにはしないけど自分のなかで引っかかったら、やれるじゃないですか。 ◇きっかけになるよね、ヒントとして。 作品を良くするためのタイミングは、見せた方が多いかな。 あと僕の作品も作業場にずっと置いてあるから、ちゃんと展示空間を作るっていうのも表現として大事かな。経験値としても、毎回展示の反省があるのでトレーニングでもあるかなと。 ◇絵をこれからも描いていくでしょうし、続けるために見せるということも大事だし、広がりにもなっていくでしょうしね。そこからまた固めていく。それを続けていくのが大事みたいな。 極論で描いているだけでもいいんです、極端な話。まずは自分を満足させるのが、いち番の目的だから。 ◇それって、自己満足を表現したい、ってこと? “人に見せないと表現にはならない人間”と”誰にも見せず自分の中だけで完結している人間”もいますよね。これって何なんですかね。なので、どちらでもいいよね、とも思います。僕は美術資料に載っているわけでも、美術家としてやってる意識もない。絵描きとして売っていく、って感じじゃなく、まだトレーニングという意識は強いです。だからまだ自分が何かのレベルに達しているとも思わない。トレーニングあるのみですね。
PROFILE 伊藤潤 | Jun Ito 1984年生まれ。愛知県名古屋市出身、在住。 2010年頃から木炭やパステルによるドローイングの制作を始める。 以降 、画材を試行しながら平面作品を中心に制作を続ける。他、コラージュ、アニメーションなど。 近年は「家族」をモチーフに制作を進めている。
Direction & Interview & Photo : Yusuke Baba Text : Yasushi Kishimoto